2015.10.27 会津藩大窪山墓地 Olympus SH-1

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2310 日 前, 209 観覧
藩士の墓が山の斜面一帯に広がって、一ヶ所に在るのは、全国的にも珍しいと云う。場所の特定が難しく、青木団地に通じる舗装路を終点まで行った右に3台ほどの駐車スペースがある。未舗装の道との分岐に大窪山墓地の道標が在るが、真っ直ぐ進むと駐車スペースは、全く無く、バックで戻る羽目に為ります。平成24年建立の石碑の後ろに旧石碑(画像で濃いグレー色)が在り、その背後に解説看板が在りますが、その右手後ろに「白河口の戦いで戦死」と刻まれた個人の墓標あり。西郷頼母を総大将として、仙台藩と共に初戦で近代戦で負け戦をし、奥羽列藩同盟の行方に暗雲が立ち込める。実は、この戦死した武将(山田貢の文字が読み取れる)の墓石が見つからず、移転かと思って問い合わせした処、若松市教育委員会文化課の矢木様が現地へ行って下さり、探して頂きました。此処に深く感謝申し上げます。墓の基数は、4000の看板。尚、枯草の季節には、丈長の長靴が無難です。スニーカーや靴下、ズボン、靴紐に刺さる10~15mm程の雑草(センダングサ)が在り、これに逆さ棘が在る為、一本一本指で摘んで取らないとブラシでは、落とせません。

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