Nikon COOLPIX A900 「ロットのカメラ」

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2062 日 前, 113 観覧
小学校4年生の頃、父にボルタサイズのトイカメラで一光社START35を買ってもらった。カメラ自体は安かった(500円)が、現像焼付の値段は当時高額(450円)であった。記憶では1本10枚だけしか写した記憶がない。(親に写さないように言われた)子供のお小遣いで支払える金額ではなかった。中学の修学旅行(大阪万博)の時、叔母からキャノネットQL17を借りて白黒20枚とカラー12枚を撮影したが、それらしい写真がない。(32枚中ソ連館のとがった屋根の写真が1枚、他は友人の写真だけ)高校生の時、アルバイトでコニカC35を購入し、その後、キャノンEX、ミノルタSRT-101に買い替えた。近所に住む遠い親類の兄さんに北海道と九州に連れて行ってもらったがこの時の写真もよくわからないものしか写っていない。高2の頃、ハワイに行くチャンスがあり、10日ほど滞在した。昭和46年に円ドル変動相場になって1ドル360円から314円になり、昭和47年頃301円でした。アメリカ・ヨーロッパの製品は高くて良い品ばかりと思っていた頃です。(舶来品)この頃は、少し、写真がまともになっていました。(カラーは12枚1本、白黒10本)自分で現像が出来る様になっていて、良さそうなものだけ写真にしてもらいました。素人現像でムラがあるものがたくさんあった。大学生の頃、お金がなく、ミノルタを売却。アルバイトはしていたがカメラを維持できなかった。写真は1年生の初期に写したものが数枚あるだけでその後の自分が大学時代を生きた証拠の写真がない。就職してからオリンパスOM-2を中心にレンズなどを揃えOM-10をサブ機として使用。その後、OM-20、OM-30などを購入したが面白味がなく、MAMIYA645SUPER、FUJICA645 WIDE YASHICA-MAT など中判カメラへ移行した。当時、ハッセルブラッド・ライカ・ローライフレックスなど舶来品は小型乗用車とほぼ同額だった。元旅行カメラマンで写真店を経営する知人のスタジオに行くとハッセルブラッドが数台無造作に置かれていたが触ったことはない。世の中にビデオが出現し、テレビを録画できた頃、友人2人が100万円以上するカメラとデッキを購入し、旅行に持ってきた時、まるでテレビ局のカメラマンかと思うほどの重装備で、身体にケーブルを巻き付けていた。(その時のビデオは見ていない)数年後、ソニーがハンディカムなるものを発売した。その頃、長男が生まれ、一番安いセットを購入した。次男が誕生し、子供が成長するまでビデオカメラは妻のものになった。同時期にワードプロセッサなるものも販売された。仕事で日本書院の和文タイプを使用していた頃、仕事場には本物の和文タイプを打つタイピストなる人も2人いた。そのうちの1人は元、電子計算機のキーパンチャーをしていたそうだ。(細長い紙に穴を開けてプログラムを作る人)新しいもの好きの私はシャープの書院を15万円ほどで購入したが、16ドットのインクリボン・プリンターの為、公文書の作成は出来なかった。(公文書は24ドットのドットインパクトプリンター以上)パソコンの登場で世の中が変わっていった。高根の花、PC-9801を見ることが出来たのは隣町の大型電気店(本店・秋葉原)だけだった。しかも鍵のかかったガラスケースの一番上に置かれていて見るのも大変だった。本体・カラーディスプレイ・プリンター・8インチフロッピー装置で総額200万円位ではなかったか。ずっと後になって私もPCを購入したがお手頃価格になっていた。その頃、デジカメの販売が熱くなってPCで加工する人が出てきた。まだインターネットのない頃の話だ。つづく

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